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東京地方裁判所 昭和45年(刑わ)7060号 判決 1974年6月27日

主文

被告人は無罪。

理由

第一公訴事実

本件公訴事実は

被告人は、東京都千代田区一ツ橋二丁目三番一号所在株式会社小学館発行の週刊紙「週刊ポスト」の編集長として同誌記事の企画、編集等を担当しているものであるが、ほか数名と共謀のうえ、株式会社産業経済新聞社(通称サンケイ)等に関する記事を同誌に掲載するに当り、株式会社産業経済新聞社の名誉、信用を失墜させ、かつその業務を妨害しようと企て、同会社はなんら倒産の危機に瀕している事実等はないのに

一昭和四五年九月一五日ごろ、前記「週刊ポスト」九月二五日号八〇頁に「あなたが読んでいるのは危ない新聞か、生き残れる新聞か、東タイ・サンケイ……も危ない! ブロック紙・地方紙の暗い前途」との見出しをつけ、同八一頁から八二頁にわたり株式会社産業経済新聞社の地位や経営状態等に関し、「ところで先ごろ、サンケイの社長室長の地位にあつた河野幹人氏が日経(日本経済新聞)に移つた。河野氏は夕刊フジの企画に参加した人だけに、河野氏の日経移籍は最近の新聞界では目につく動きであつた。この動きは何を意味するのか、当の日経の某幹部が、河野氏スカウトの狙いをこう説明してくれる。『河野さんのほかに最近サンケイからもう一人はいつていますが、さらにあとふたり、近くウチに移つてきますよ。正直なところ、サンケイはもう中央紙としては相手ではありません。はつきりいつてサンケイはいまや脱落しましたよ。水野(成夫)氏から鹿内(信隆)氏へと新聞人でない社長が続いたうえに、大手紙の増ページ競争で完全に立ち遅れたのが原因ですがね。ウチが目安にしているのは朝日だけですよ』。脱落したサンケイに残つている優秀な人材を、朝日に対抗するための戦力として引つこ抜いたのだ!というロコツな話なのである。サンケイがどうもいけないようだ、という説がさまざまに伝えられてから、すでに久しくなる。これまでさまざまな吸収説や買収説が聞きあきるほど出たが……大阪はまだ売れているけど、東京本社が朝刊をやめるという噂もあつたりして、いわゆる東京中央紙のなかではサンケイが最も苦境におかれていることを否定する業界筋は見当らないようだ」などとあたかも株式会社産業経済新聞社が経営陣の不手際等により東京中央紙としての地位から脱落し、他社への吸収説、売却説が繰返し喧伝されたうえ、東京本社が朝刊を廃止する噂もあり、経営状態が著しく悪化し、倒産の危機に瀕しているかのごとき虚偽の事実を掲載し、そのころ該週刊誌約五〇万部を小学館販売株式会社等を介して国内の購読者に販売して頒布し、

二さらにそのころ、週刊ポスト九月二五日号と題する縦約36.4糎、横約51.6糎の宣伝用ポスターに、「あなたが読んでいるのは危ない新聞か、生き残れる新聞か、東タイ・サンケイ……も危ない!」などとあたかも株式会社産業経済新聞社が新聞業界の競争から脱落し、経営が著しく悪化し、倒産の危機に瀕しているかのごとき虚偽の事実を掲載し、そのころ、該ポスター約一四、〇〇〇枚を株式会社オリコミ外二社を介して、東京都、大阪府、名古屋市およびその各近郊等の国電・私鉄等の電車内に中吊りして広告し

もつて、公然虚偽の風説を摘示して流布し、前記株式会社産業経済新聞社の名誉および信用を毀損し、かつその業務を妨害したものである。

というにある。

第二当裁判所の認定した事実

一被告人の経歴と週刊ポスト

<証拠>によれば、被告人は昭和四四年六月株式会社小学館(以下小学館という)に入社し、爾来第五編集部に所属し、同社が発行する週刊誌週刊ポスト(以下週刊ポストという)の編集長としてその編集にたずさわつてきたものであること、週刊ポストは全国の男性のうちサラリーマンを対象にした週刊誌として政治、経済、社会部門の最新情報の提供をめざすとの編集方針をとつていたことがそれぞれ認められる。

二株式会社産業経済新聞社(以下産経という)の沿革

<証拠>によれば、現在の産経は大正二年の創業にかゝり、大阪で日刊工業新聞を創刊し、その後他の業界紙を統合する等し株式会社産業経済新聞社として新聞発行事業を続けてきたが、昭和三〇年二月東京進出を企図して資本金一億円の株式会社産業経済新聞社東京本社を設立、同社は同年一一月時事新報社を合併し発行新聞の題号を産経時事と改め、同三四年二月には東京、大阪両本社を合併し、本店を東京に置くとともに資本金を一〇億円に増資し株式会社産業経済新聞社として発足し、同四四年五月には発行する新聞の題号をサンケイ(以下産経の発行新聞をサンケイという)と改め、東京、大阪において日刊の朝夕刊を発行し現在に及んでいるものであり、右サンケイは株式会社朝日新聞社の発行する朝日新聞(以下朝日という)、株式会社毎日新聞社の発行する毎日新聞(以下毎日という)、株式会社読売新聞社の発行する読売新聞(以下読売という)等とともに日刊新聞のいわゆる中央紙として並び称されてきたこと、その間昭和三三年一一月からはそれまで久しく社長の地位にあつた前田久吉に替つて国策パルプ出身の水野成夫が、社長あるいは会長として、同四三年一〇月からはフジテレビ社長の鹿内信隆が社長として同社の経営に当つてきたものであることがそれぞれ認められる。

三週刊ポスト昭和四五年九月二五日号(以下本件週刊ポストという)の発行とその記事内容ならびに被告人の関与

<証拠>によれば、

(一)  昭和四五年九月一五日ころ、小学館から本件週刊ポストが発行され、そのころ小学館販売株式会社を介し約四九二、〇〇〇部が国内各地の購読者に販売して領布されたこと

(二)  本件週刊ポストの八〇頁から八四頁には「あなたが読んでいるのは“危ない新聞”か“生き残れる新聞”か東タイ・サンケイ・内外も危ない!ブロック紙・地方紙の暗い前途」との見出しをつけた記事(以下本件特集記事という)が掲載されており、右記事は八〇頁冒頭に「9月、早くも秋風にみまわれた地方新聞社がある。中央紙の激烈な増ページ競争、そして朝日の“全国制覇”大号令。“大新聞の横暴”と批判も強いが、結局はこの世界も弱肉強食、大都市とそのドーナツ圏では、いち早く危機が訪れた。あなたが読んでいる新聞の明日は、滅亡か繁栄か―。」との前文を掲げ、本文中八一頁に、サイケイに関する部分として、公訴事実一掲記にかゝる「ところで先ごろ、サイケイの社長室長の地位にあつた河野幹人氏が日経(日本経済新聞社)に移つた。……いわゆる東京中央紙の中ではサンケイが最も苦境におかれていることを否定する業界筋は見当らないようだ。」までの部分と同旨の記事(以下本件記事という)が掲載されていること

(三)  被告人は小学館第五編集部の週刊ポストの編集長として、同部副編集長福永豊、同部員納家政嗣、社外取材記者小板橋二郎、アンカーライター榎本英夫らを統括主宰し、本件週刊ポストの右(二)の記事の企画、取材、取りまとめ等その編集にあたつたこと

がそれぞれ認められる。

四本件宣伝用ポスターの掲出とその内容ならびに被告人の関与

<証拠>によれば、被告人は本件週刊ポストの電車中吊ポスターについて小学館宣伝部副部長小林幹昌、同部員田中龍之介らと打合せのうえ、本件特集記事に関しては「あなたが読んでいるのは危ない新聞か生き残れる新聞か、東タイ・サンケイ・内外も危ない! 中央紙、ブロック紙、地方紙の暗い前途」との宣伝文言を掲載することとし、同文言の掲載された週刊ポスト九月二五日号と題する縦約36.4センチメートル、横約51.5センチメートルの宣伝用ポスター約一三、五〇〇枚が前記本件週刊ポスト発行のころ株式会社オリコミほか二社を介して東京都、大阪府、名古屋市およびその各近郊等の国電、私鉄等の電車内に中吊りして広告されたことが認められる。

第三本件週刊ポスト領布による名誉毀損罪の成否

一構成要件該当性

検察官は、前記見出し、前文および本件記事に掲載された事実は、これを総合してみると、一般読者に産経の経営状態が著しく悪化し同社は倒産の危機に瀕しているとの印象を与えるもので、同社の名誉を著しく毀損するものである旨主張する。

そこで検討してみるのに、前認定のとおり当時週刊ポストは国内各地の購読者に宣伝広告のうえ毎号約五〇万部にのぼる大量の販売頒布がなされていた状況であるうえ、本件週刊ポストほか押収してある週刊ポスト五冊(同押号の七、七三ないし七六)の記事内容に徴すれば、前記のような編集方針がとられていたこともさることながら、サラリーマンをも含め広く一般大衆を対象とし、政治、経済、社会部門の他広くスポーツ、レジャー、娯楽等に関する読物も含め硬軟両様の記事を適当に按配して編集されていたものであり、読者の側においてもこのような週刊誌として同誌に接していたものであることは否定できず、本件記事およびその見出しについても、これら一般大衆読者の通常の興味、注意のおき方、読み方を基準にしてその客観的意味内容を把握しなければならない。

ところで本件記事の構成をみるに、まず産経社長室長の地位にあつた河野幹人の日経移籍の事実を指摘したうえ、この動きの意味するものを、日経某幹部の談をかり、サンケイが中央紙としては日経の相手でなくなつており、その原因が産経に新聞人でない社長が続いたうえ大手紙の増ページ競争に立ち遅れたことにあるが、河野移籍は右のような状況にある産経に残つている人材を日経が引き抜いたものであることにあるとし、更に産経に関しこれまでどうもいけないようだとの説や吸収説、買収説がさまざまに出たことや、東京本社が朝刊をやめるという噂もあることを述べ、以上を裏付けとして「いわゆる東京中央紙のなかではサンケイが最も苦境におかれていることを否定する業界筋は見当らないようだ」と結び、もつて本件週刊ポスト発行当時において産経の経営が不振を続けており、その発行するサンケイ新聞が東京中央紙の中で最も苦境におかれているとの事実を記述したものであり、本件特集記事の見出し中サンケイに関連する部分も、以上のような本件記事の趣旨をいわゆるキャッチフレーズ式に簡潔に要約したにとどまるものとみるべきである。そして以上に加えて、後述する本件特集記事全体からよみとれるその編集意図、その中に占める本件記事の地位、同記事中八二頁に掲載されたサンケイ本社の写真に付されている「不振を伝えられるサンケイ本社と鹿内信隆社長」との説明文、および東タイ、サンケイ、東京、内外タイムズ等東京の新聞界の現状に関するしめくくり的部分にあたる「東タイあやうく、サンケイ、東京、内外タイムズいずれも苦しい――という東京の新聞界の現状からいえるのは、スポーツ紙などの専門紙を除いた東京地方紙が朝日、毎日、読売の三大勢力による激烈な部数拡張競争の波をもろにかぶつているということである。」との記載等を合せ検討すると、本件記事およびその見出しについて、大多数の読者は、産経が慢性的経営不振を続けているうえ、朝日、毎日、読売等による激烈な競争のあおりをうけ、東京中央紙のなかでサンケイが最も苦境におかれているとの印象をうけるものと判断するのが相当である。

してみると、本件記事およびその見出しが、検察官主張のように、産経の経営状態が著しく悪化し倒産の危機に瀕しているとの事実を摘示しており、一般読者にその旨の印象を与えるものとまで認めることは困難というべきであるが、以上説示したところによつても、本件記事およびその見出しが産経の経営状態およびその発行するサンケイ新聞の新聞界において占める地位について摘示している事実は、前記第二の二で認定したとおり中央紙として朝日、毎日、読売と並び称されてきたサンケイ新聞を発行する株式会社産経新聞社に対する社会的評価を害し、その名誉を毀損するに足りるものであることは明かである。

二事実の公共性および目的の公益性ならびに事実の真実性

弁護人は、本件特集記事に仮りに産経の名誉を毀損するものがあるとしても、同記事は朝日、毎日、読売のいわゆる中央大手三紙が全国の新聞を圧迫して過半数に近い販売部数を占めるような新聞の寡占化状態をまねくことは言論の自由にとつて有害であることを論評するに当り、各新聞社の経営状況、新聞発行状況を報道するなかで、その一環として各紙との比較においてサンケイに関する事実をとりあげたもので、公共の利害に関する事実についてもつぱら公益をはかる目的に出たものであり、しかも該事実はいずれも真実に合致し、仮りにその真実性について立証ができないまでも被告人らにおいて同事実を真実と信ずるについて相当な理由があつたので、同事実の摘示は違法性もしくは故意を欠く旨主張し、検察官はこの点について、すでに見出し部分において不法な言辞を用いているばかりでなく、その記事内容はもつぱらサンケイが中央紙の地位から脱落したとか経営が危機に陥つているなどサンケイに対する中傷、誹謗に終始し、取材してもいない事実や噂すら存しない事実を記載したり、あるいは漠然たる噂をそのまま伝えたりしているもので、社会を稗益する面において効果があるとは認められないばかりか、公益的意図の片鱗すらうかがえない旨反論する。

(一)  事実の公共性

<証拠>を総合すると、小学館では週刊ポスト昭和四四年九月一九日号において「“新聞を変えた”サンケイの新体制の評判」との、同四五年三月二〇日号において「朝日が火をつけた新聞戦争の大異変」との、同年六月一九日号において「厳正採点! どの新聞が紙面を変えてよくなつたか」との各見出しのもとにいわゆる新聞特集記事を掲載し、新聞の進路、増ぺージ競争の影響、記事内容のあり方等について前後三回に亘り解説、論評を行い、とりわけ新聞業界の過当競争に対し批判警告を重ねてきたが、その際同競争によりいわゆるブロック紙地方紙が如何なる影響を受けているかにつき言及できなかつたので、本件週刊ポストにおいて、そのしめくくりとして、中央紙の過当競争ともいえる増ページ競争あるいは地方進出競争等販売拡張政策がブロック紙、地方紙を圧迫しつゝある現状に鑑み、全国の新聞の状況を総点検し新聞の中央集権化傾向に警告を発する意図のもとに本件特集記事を企画編集したものであることが窺われ、更にその内容を見るに、第一節「東タイはロッテへ身売り?」との部分において東タイ(東京タイムズ)の身売話を、第二節「効率のいい日経の経営法」と題する東京の新聞界の現状分析の部分においてサンケイの不振ぶりを掲載しているあたり一般週刊誌にありがちな読者の興味を意識したと思われるふしも見受けられるが、以下第三節「危ない大都市ドーナツ圏紙」、第四節「合理化・アイデアの有利紙」と題する部分においていわゆるドーナツ圏紙が伸びなやんでいることや、競争に強い地方紙をとりあげ、最後に「新聞の中央集権化は危険」と題して地方紙の役割や記事内容のあり方に論及したうえ、中央紙による全国制覇の及ぼす影響についての警告記事で結んでいることが認められる。

民主社会においてはすべての国民に思想ならびに言論の自由が保障されなければならないことは当然であるが、その前提として各人がそれぞれの思想を形成するための多様な意見や資料がすべての人に提供されいわゆる知る権利が確保されることが不可欠というべきところ、現代のような情報化社会にあつては右は新聞による意見や資料の提供にまつところが大きいといわざるを得ず、従つて新聞はその報道記事内容の充実により右要請に応えるべきであるとされることはもとより、新聞が寡占化すれば国民は幅広く多様な意見や資料に接することができず思想ならびに表現の自由はその面から制約され健全な世論の形成にも影響を生ずるおそれがあることはつとに指摘されているところであり、かゝる観点から見るとき、本件特集記事は前記の如き意図にもとずき企画編集されたものでその内容も全体として右意図に合致し、公共目的に副うものというべきである。そして右特集記事の一部をなしている本件記事についても、見出し部分と総合してみると読者の興味を意識しつつ産経の経営不振の点が強調されていることは否定できないが、新聞社の健全な経営が内容充実した公正な新聞報道を生む所以であるばかりか、同記事は産経が大手紙の増ページ競争に立ち遅れたのがサンケイの売行不振の一因であり、サンケイもまた右競争の影響を蒙つている新聞の一つである旨指摘論評しているものであることを読みとることができ、前記本件特集記事全体の企画意図と背馳するものでないから、本件記事およびその見出しが摘示する前示事実は、社会の多数一般の利害に関するもので、刑法二三〇条ノ二、第一項にいう公共の利害に関する事実にかかるものと認めるのが相当である。

(二)  目的の公益性

<証拠>によれば、小学館第五編集部員として本件特集記事を担当した納家政嗣は、アンカーライター榎本英夫にデータ原稿を渡し完成原稿の作成を依頼した際、本件特集記事の冒頭に読者の興味をひくような話題を掲載し次いでサンケイ不振の記事を取りあげるよう指示しており、現実に本件特集記事のうち、特に見出し、前文や第一、二節の内容が前記のとおり読者の興味を意識したものとなつていることが認められるが、週刊ポストも広く一般大衆を対象とし私企業たる小学館がその経済的責任において、発行する週刊誌である以上、ある程度読者の興味をひきつけるような体裁内容をとることはやむを得ないところであり、しかも本件特集記事の企画・意図が前記のとおりであるうえ、前掲各証拠によれば、本件特集記事における新聞紙の比較検討も主として新聞の生命というべき読者数、すなわち販売部数の推移を基礎として記述をすゝめ、新聞寡占化の進行する状況を分析するなかで、その一環として産経あるいはサンケイに関する本件記事を掲載したもので、その内容は後記のとおり主要な部分において真実性の証明がなされ、他方首都圏において順調な伸び率を示していると伝えられている夕刊フジ(産経の関連会社の発行にかかる夕刊専門紙)の成長ぶりを写真入りで紹介する等配慮しているふしも認められ、これらの諸点を前記の如き本件特集記事の全体的内容に照らせば、被告人らが本件記事およびその見出し部分にかかる事実を摘示した主要な動機は前同法条にいう公益をはかるにあつたものと認めるのが相当である。

(三)  事実の真実性

そこで次に本件記事およびその見出しの摘示する各事実につき、その真実性の有無を順次検討することとする。

1 産経およびサンケイの不振を伝える部分について―決算の推移、販売部数の推移

<証拠>によれば、産経の沿革は前認定のとおりであり、東京進出以前は大阪において順調な業績をあげてきたが、東京進出後は特に東京周辺において朝日、毎日、読売の各社に伍すべく読者の獲得に努め多額の販売拡張費を投入したものの、販売網の弱さもあり業績はあがらず、昭和三三年ころには遂に実質四〇億円近くにのぼるともいわれる負債をかゝえ経営上の行きずまりをきたし、前記のとおり経営陣の交替のやむなきにいたり、水野成夫が経営をあずかるようになつたこと、同人は前記のとおり東京本社と大阪本社を合併し、販売面、広告面に力を注ぎ、設備の拡張につとめる一方、労使間に会社再建に関する協定を締結するなどし、昭和三八年以後多角経営に乗り出し、昭和四〇年一一月から同四三年四月にいたる第二二回ないし第二六回までの各会計期間の決算において別表(一)<略>のような売上高、営業利益および当期利益を計上し、第二五、第二六回決算においては各六分の利益配当に踏み切つたことが認められる。

しかしながら、前掲各証拠および<証拠>によれば、産経の経営は水野時代に入つても前記公表決算にもかゝわらず必ずしも業績あがらず、昭和四三年の水野会長退陣のころには経営は悪化し、そのため会社再建のおもわくもからみ経営首脳陣の交替もかなり難航したと伝えられ一部財界有力者の奔走努力の結果ようやく新首脳陣が発足したこと、水野時代の後をうけた鹿内信隆は、社長就任早々会社再建策として赤字要因をなしていたサンケイバレー等を他に譲渡するとともに、過去の不良債権約二三億円を損失に計上して健全財政にふみ出したため、昭和四三年五月から一〇月にいたる第二七回会計期間の決算においては売上高の伸びにもかゝわらず、二二億八九五九万五七九五円の当期未処理損失を計上し、以後無配を続けたこと、その後昭和四四年五月に会社再建五ケ年計画をたてるなどし業績向上につとめ、本件週刊ポスト発行直前の第三〇回会計決算時まで別表(二)<略>のような売上高(但し第三〇回決算以後における売上高の増加については新聞購読料金や広告料金の値上がりその要因をなしているものと認められる)、営業利益および当期利益を計上し、漸次未処理損失金を減じたが、なお右第三〇回決算においても依然として資本金一〇億円を上廻る一三億八六八四万三九二〇円という多額の当期未処理損失を計上し、しかも右業績は夕刊フジ等の関連企業のやく進に負うところが大であるといわれ、その後も同表のような業績推移をたどり未処理損失の消化は必ずしもはかばかしいものでなかつたことが認められる。

次に新聞の販売部数の推移―その推移が売上高を左右するものであることは当然であるが、販売部数はまた広告料収入の多寡にも直結しその不振は売上高にも大きく影響するものというべきである―をみると、前掲各証拠および<証拠>によれば、サンケイの販売部数は振わず、特に昭和三七年以降一〇年間のそれは財団法人日本ABC協会の調査によれば別表(三)<略>のとおりで、サンケイは販売部数の実数において朝日、毎日、読売に比し遙かに及ばないことが顕著であるばかりか、昭和三七年上期の販売部数を一〇〇とし本件週刊ポスト発行直前の昭和四五年上期の指数をみると、朝日148.4、毎日131.8、読売150.6、日経149.8に比しサンケイは99.4と伸びず、昭和三九年下期をピークにその後伸びなやみないし横ばいの傾向にあり、特に東京周辺に関する前記比率は、朝日159.6、毎日131.4、読売一三七、日経161.5に対しサンケイは93.7にすぎず、他の大手紙に比しひとりサンケイのみがその販売部数において極度の不振を続けていたことが明らかである。

以上を総合すれば、本件記事中「サンケイがどうもいけないようだ、という説がさまざまに伝えられてからすでに久しくなる。」「いわゆる東京中央紙のなかでサンケイが最も苦境におかれていることを否定する業界筋は見当らないようだ。」との部分については、事実の真実性について証明があつたものというべきである。

2 河野幹人スカウト等に関する部分について

前掲各証拠および<証拠>によれば、河野幹人は昭和三三年水野成夫が国策パルプから産経社長に就任した際同人に伴われて産経に入社し、同四一年二月取締役社長室長となり同社の経営に参画するとともに、前記夕刊フジの企画に参加しその発刊にまでこぎつけたが、水野成夫の辞任にともない同四五年一月に右取締役を辞したのをはじめ同年六月末限りでいわゆる産経グループのすべての役職から退き、その後元サンケイ編集局長土屋清の紹介で同年八月一日付で株式会社日本経済新聞社に入社し電産機本部長付理事の役職についたこと、同人の産経退職後前記社長室長当時の部下四名が相次いで同社を退職し、うち二名が同人の世話で日経の公募に応じ同年八月一日付、同九月一日付でそれぞれ同社に入社したことが認められる。以上の事実によれば、本件記事中最近まで産経の要職にあつた河野幹人が競争紙とも見られる日経に移つたとの点――このことはそれ自体日経と対比しつつ産経の新聞界における立場の推移を象徴的に示す一つの出来事ということができる――は真実に合致するものというべきであるが、本件記事は右に続いて「日経の某幹部が河野氏スカウトの狙いをこう説明してくれる」と記載し、更に右某幹部談を「脱落したサンケイに残つている優秀な人材を朝日に対抗するための戦力として引つこ抜いたのだ――というロコツな話なのである。」と評しているところ、右河野の日経入社が既に産経を退職した後のことに属するのは前認定のとおりであり、これをもつて日経によるスカウトないし引き抜きであると断ずることはその限りにおいて事実に即しないものといわざるを得ない。

3 日経某幹部のサンケイを批判する談話部分について

前掲各証拠ならびに<証拠>によれば、右談話部分は前記小板橋二郎が当時の日経開発部長沢田久男から電話取材したところに基づくものと認められるが、右談話内容が趣旨とする事実のうち、本件週刊ポスト発行直前に河野幹人ほかのものが産経を退職し日経に入社したこと、産経の経営が不振を続けており、サンケイが他の中央紙に比し劣位にあること、産経に水野、鹿内と新聞人でない社長の交替が続いたことはいずれも前認定のとおりであるほか、本件週刊ポスト発行当時サンケイ約一八二万部の販売部数に対し日経のそれが約一三〇万部に迫つていたことは別表(三)<略>の示すところであり、特に東京周辺においては両紙の販売部数が相接近したといわれていたこと、当時中央紙の間で再度にわたる増ページがなされた中で、サンケイは広告量、原稿量確保の制約から他紙に比べ増ページ量が最も少かつたこと、また当時日経内部ではいわゆる朝日、日経時代の到来を目標としてその経営にあたつていたこと等の諸事実が認められる。以上によれば、河野移籍、社長交替、増ページ競争立ち遅れ等を象徴として産経の経営不振ないし他の中央紙に対比したサンケイの稠落傾向を論ずる右日経某幹部談に盛られた諸事実については、概ね真実であることの証明がなされたものというべきである。

4 吸収説、買収説に関する部分について

産経の経営首脳陣の交替がくり返されたことおよびその経緯は前認定のとおりであるほか、前掲各証拠によれば、同社では昭和三三年水野成夫が社長に就任した際中日新聞社から与良エを副社長に迎えたのをはじめ、昭和三四年ころには会社再建策として中日新聞社、北海道新聞社、西日本新聞社等のいわゆるブロック紙との協同による取材網の確立をはかることが提案され、次いで、鹿内信隆も同四三年社長就任後サンケイの発展策として社内の首脳者会議等において発行新聞の題号を「サンケイ」から「富士」あるいは「フジ」に改めるようしばしば提案するなど、本件週刊ポスト発行ころまでの間に産経と他社との業務ていけいあるいは合併の動きを推測させるようなさまざまの事実があつたことは認められるが、産経が他社に吸収ないしは買収される形での企業上の組織変更が現実に提案されたことについては本件全証拠によるもこれを認めることはできず、本件記事中「さまざまな吸収説や買収説が聞きあきるほど出た」との点に関しては、未だ真実であることの証明があつたとすることはできない。

5 朝刊廃止問題について

前掲各証拠によれば、本件記事中「東京本社が朝刊をやめるという噂もあつたりして」との部分は、被告人が本件週刊ポスト発行直前の昭和四五年九月八日ころ、サンケイの元論説委員であり週刊ポストへの寄稿等を通じかねてじつ懇の間柄にあつた俵孝太郎から「サンケイは相変らずよくない、サンケイを再建するためには東京から撤退するなり、夕刊だけにするなり新しい発想を試みるほかない」旨取材したのを、自ら校了の段階で書き加えたものであることが認められるが、それ以上本件週刊ポスト発行当時産経内部において東京本社の朝刊廃止の計画構想が存在したとの点については本件全証拠を検討してもこれを認めるに足りるものはなく、右部分については真実性の証明がないものといわなければならない。

6 見出し等について

週刊ポストの週刊誌としての性格についてはさきに認定したとおりであるが、広く一般大衆を対象とするこのような週刊誌にあつては、記事に付する見出しは本文の内容を簡潔に要約して読者に紹介しその興味をひくことをねらい、なお前文は本文のいわゆる眼目ともいえる部分をまとめたもので、ともにある程度の誇張をまじえた表現をもつて読者の目を本文に向けさせることを目的とするものということができる。ところで本件特集記事に付された見出しならびに前文の内容は前認定のとおりで、その意味するところは、中央紙の激烈な増ページ競争のあおりをうけ、弱肉強食の新聞界において大都市とそのドーナツ圏で苦境に立たされている新聞が出はじめているとし、この観点から新聞界の実状と問題点を探る趣旨で以下本文の記事を特集したものである旨を紹介したものと理解することができ、その中にあつてサンケイもまた右の例にもれないことを指摘しているものであるところ、その間前記の如き週刊誌としての特性上やや誇張した刺激的な表現が用いられていることは否定できないが、本件週刊ポスト発行当時産経が多額の未処理損失をかかえて慢性的な経営不振を続けており、またサンケイの販売部数が他の朝日、毎日、読売等の中央紙にくらべて顕著な隔りがあり、その伸び率も低迷を続けていたことは前認定のとおりであるから、結局サンケイに関する右の見出し部分については真実性の証明があつたものというべきである。

ところで、刑法二三〇条の二、第一項が名誉毀損の罪に関し、公共の利害に関する事実について真実性の証明がなされた場合に免責を認める趣意は、民主主義社会における公共的事実に関する表現の自由を最大限に尊重しつつ、これと人権との調和点を見出そうとするにあるものと解せられ、この見地よりすれば、真実性の立証の程度も摘示事実のうち主要な部分についての立証をつくせば足り、たとえその余の付加付従的部分について立調がつくされないとしても免責されるものと解するのが相当というべきである。これを本件についてみるに、本件記事およびその見出しは、政治、社会部門等の最新情報の提供をめざす週刊ポストが、いわゆる新聞競争による寡占化傾向の兆しを見せる新聞界の動向にかんがみ、本件特集記事を企画編集しその実情を総点検するなかで、当時産経の経営が振わず東京中央紙のなかでサンケイが最も苦境におかれている旨報道論評を加たものであり、結局右産経の経営不振ないしサンケイの劣位に関して端的に結ぶ「いわゆる東京中央紙のなかでは、サンケイが最も苦境におかれていることを否定する業界筋は見当らないようだ。」との部分が本件記事およびその見出しの中核をなす部分にあたり、その余の記載剖分は右を更に裏付け説明するものというべきであるから、前記法条との関係においては、前者の中核的部分が真実性立証の主要な対象になるものと解すべきであり、後者のうち付加付従的部分についてまで真実性の立証が要求されるものではないと解すべきである。このような観点から、さきに本件記事およびその見出し等において摘示されている事実の真実性について個別に詳細な検討を加えてきたところを総合してみれば、産経に関する本件記事およびその見出しの摘示する事実のうち、産経の不振ないしサンケイの苦境をいう前記中核的部分の摘示事実については該事実の証明があつたものというべきであり、これを更に裏付け説明する部分の摘示事実についてもある程度の立証がなされており、結局全体としてはその主要な部分について事実の真実性が立証されたものと認むべきであるから、被告人に名誉毀損の罪責を帰することはできないものというべきである。

第四本件宣伝用ポスター掲出による名誉毀損罪の成否

本件宣伝用ポスターのうち本件特集記事に関する部分の内容は前記第二の四で認定したとおりで、本件特集記事の見出しのうち「ブロック紙、地方紙の暗い前途」とあるのが「中央紙、ブロック紙、地方紙の暗い前途」と改められているほかはこれと同一で、公共の利害に関する事実にあたる同記事の内容を簡潔に要約して読者に紹介しその購読意欲をかきたてようとするものであり、しかもその持つ意味内容も第三の二の(三)の6と同様で、この点については前記のとおり真実性の立証があつたものというべきであるから被告人はこの点についても免責されるものというのが相当である。

第五信用毀損罪および業務妨害罪の成否

本件週刊ポストの発行頒布とその内容、および本件宣伝用ポスターの掲出とその内容、ならびに被告人がこれらに関与したことについてはいずれも前記第二の三、四で認定したところであるが、すでに名誉毀損罪の成否に関連して詳述したとおり、本件週刊ポストの本件特集記事中産経に関する記事および見出しについては基本となる主要事実に関して真実性の立証がつくされており、未だその立証が十分といえない部分もこれを付加することにより産経の経済的見地における社会的評価を更に毀損するものとまでは認められない付従的なものであり、また本件宣伝用ポスターについてはその内容の真実性が立証されていること前述のとおりであるから、結局いずれも信用毀損、業務妨害罪にいう「虚偽の風説を流布」した場合に該当しないものというほかない。

第六以上のとおりであつて、本件各公訴事実についてはいずれも犯罪の証明がないことに帰するから、刑訴法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

(柳瀬隆次 近藤寿夫 四宮章夫)

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